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ev・i・dence【名詞】
1【不可算名詞】
 a(立証するための)証拠(物件), 物証; 証言 〔of,for〕
 b〔+that〕〈…という〉証拠.
 c〔+to do〕〈…する〉証拠.   (研究社 新英和中辞典より)


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人に「優しい」と言われた。
その人にとってみると、どうやら僕は「優しい人」らしい。


人が人に優しくするのに理由なんていらないはずなのだが、現実はそうもいかない。
「下心」というのは、「上」が存在するために必要なものだと僕は思っている。心の下にあるから下心なのではない。上下合わさって心だから下心なのだ。
僕に「優しいね」と言ってくれる人は、僕が好かれたい人だ。僕が僕の存在を認めて欲しい人だ。
僕という自分は、他人によって証明されるのだ。


「自分」という存在・一人称という視点は、「他人」という存在・二人称があって初めて成立する。
だから人間が自分を形作るためには、他人の力が必要なのだ。ひとりぼっちの世界に「自分」という概念は生まれないだろう。

自分という人間をつくるのは、いつだって他人だ。

だから僕は、自分を作るために、他人に認められるために良い行いをするし、他人に愛されるために優しくする。本当は全然優しくなんてない。巡り巡って、結局自分のためなのだ。僕は愛されたいだけなのだ。

だから僕は「無償の愛」が怖い。
そんなものを語れる人は、愛されたいとも、認められたいとも思っていないのだ。そんな人が、僕はたまらなく恐ろしい。今に自分が消えようと、その人はそれを何とも思わないのだろうか。


何が言いたいのかというと、「優しいね」と言われることに罪悪感を覚えてしまうから、その許しを請いたいだけ。ここに書けば許されるような気がする。
と同時に、正当化したい。こんな汚い自分を正当化したい。
逃げている。甘えている。ほら、やっぱり、優しくなんか無い。



結局人は、評価されたいから生きている。
評価されたいから人と関わる。
評価されたいから優しくする。優しく出来る。

そう言うと、「人と人が関わる理由はそんなに一元的なものではないだろう」と反論されてしまった。
まぁ確かにそうなのかもしれない。正解は分からない。少なくとも僕にとってはそうであり、その人にとってはそうではないのだろう。


そこで僕は問いたいのだ。

自分のことを何とも思ってくれない人と関わりを持ちたいだろうか、と。



うーん、どうしても僕は極論に走ってしまいがちである。
気をつけたい。


[ 2013.10.17 00:00.00 | 思想 | コメント:: 0 | PageTop↑ ]



秘密

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